きみを応援するということ

アイドル大天国

アイドルアンチの皆さん、大丈夫?

 最近、アイドルのファンが特定のアイドルをアンチ対象として定め、ツイッターでディスっているのをよく見かける。しかも、アンチ活動をする専用のアカウントまで作って、だ。なぜディスるのか理由を知りたくて複数人のアンチアカウントを訪れたのだけど、彼女達(もしくは彼ら)が特定のアイドルをディスる理由はくだらないものから、「そうか確かにそれは問題かもね」と言えるものまで様々だった。特定のアイドルが好みではない、もしくは鼻につく。ということは少なからず理解はできる。様々な理由で好みではないなあ、と思うアイドルなら私だっているからだ。だけどそういった人達に対して問題だなあ、と思うことがある。彼女達は、特定のアイドルに関して「やりすぎ」だった。というのも、いやそれはもう、執拗にディスっていたから。日常的に同じ内容で罵倒することはもちろん、特定のアイドルに何か動きがあるたびに祭りのように仲間同士でそのアイドルを罵倒したりする。その動きと言っても、ただオフィシャルSNSに画像を載せただけ、とかそのレベルなのだ。私が好きなグル―プのとあるメンバーに、残念ながらアンチの対象となっている子がいる。でも、アンチの人は、ファンであるはずの私より沢山のことをすでに把握していたんだよね。私、その子のご両親の年齢のことなんて知らなかったよ。だからアンチに教えてもらいました。まあそんな些細な事を燃料にできる人達だから、文面からでも、そのアイドルをアンチする事に対しての熱意が伝わってくる。すごい、すごすぎるぞアンチ達。文面から伝わる熱意に、私はすっかり感心するほどだった。

 なぜ、アイドルは人を熱狂的にさせるのだろうか。アンチから普通のファンまで、アイドルオタクには熱狂的な人が多いように思う。アイドルというものは不思議だ。なぜあんなに人を虜にする魅力を持っているんだろう。しかも、なぜ「私の一生を捧げていい!」とすら思えるのだろうか。

 答えは割とシンプルだ。ステージ上でのキラキラと、私達には中々見せようとはしない舞台裏の泥臭さ。そのギャップ。それから、こんなに多くの人からの歓声を一身に受ける彼らは私達の見えないところで苦しみ、悩み、あがいて、そうしてこの歓声を得ている。という見えない事実。見せなくても伝わるその彼らの熱意が、私達をよくアイドルに対して「もう一生ついていく!」という気にさせるのだと思う。私自身、SHINeeがそうだ。私の人生の中で一生をかけていいと思うグループである。SHINeeがアイドルを超えてアーティストとしてどのようになっていくのか、その物語をすぐそばで見ていたいと思う。いつか来るであろう就職、結婚、出産等々で私がコンサートに行けなくなったとしても、だ。というわけで彼らの私達に対する姿勢が、私達をこのように熱狂的な(時に痛い)人物へと変えてしまうのだと思う。

 特定のアイドルに人生を捧げるくらいのめり込むことは、悪いことじゃないと思っている。もし、それが純粋な応援として機能するならば。私生活でいくら大変でも、アイドルという救いがあれば頑張れる。こういうことは素晴らしいことだと思う。それでいいとも思うし、むしろ精神衛生上かなり心の健康を保ついい手段なのではないかとすら思った。

 ただその熱狂性がアンチに向かってしまう場合は自分の応援するグループの邪魔になっているから、とかコンセプトが被っているから、などという「好きの熱狂」の行き過ぎが原因ではないのかなと思う。そういうことは精神衛生上、良くない。理由はシンプル。考えないようにすれば避けて通れる怒りを、自分から取りに行っているからだ。 

 だけど、特定のアイドルをアンチする事で自分の私生活のストレスのはけ口にしているというのなら、もっと問題だ。私はアンチアカウントで活動している人達の熱意に驚かされた。だけどそれと同時に、「病んでいる」とも思った。失礼かもしれないけど。私は心理学に何ら詳しくないが、特定の人を妬み憎み続けるって、普通だったら続かないと思うんだよね。だってしんどいもん、たとえアイドルであれ、人を嫌い続ける事というのは。だから、もしかしたら私生活でどうにも発散しようがないストレスが溜まっているのだろうか。私生活で言いたくても言えないことが多々あるのだろうか。とアンチに対していらぬ心配をしてしまうほどには、彼女達の精神状態は少し歪んでしまっているのかもしれない。そう思ったら、ツイッター上でアイドルに対して熱狂的に罵倒を繰り返すアンチ達に、一抹の寂しさと切なさを覚えた。

 私がツイッターで心配しても、彼女達には喧嘩を吹っかけてきたやつ、としか認識されないだろうから、ここから彼女達に伝えたい。

 

アイドルアンチの皆さん、大丈夫?